大トラワイフと結婚3年目の私ハズバンド。「美家古鮨」→「西口やきとん」篇。

〜お江戸の寿司屋は暖簾が汚いが評判の証「美家古鮨」→NHK紅白歌合戦を目指すもつ焼き屋「西口やきとん」〜 妻とボキの世にも珍味なはしご酒〜

夜からスタート
今宵、ワイフがボキを待つのは総武線「浅草橋駅」

夜ごと大酒をもとめ、野生化する嫁を見ながら、「こんなはずじゃなかった」という葛藤期を経て、「現状を仏のごとく受け入れる」期に入った昨今です。今宵、ワイフがボキを待つのは総武線浅草橋駅。浅草橋は昔から衣類の問屋街として知られている。生地を小売りする小さな店もあるし、商業ビルもあって派手さはないがこちゃこちゃした景色がいい。ワイフの一番のおすすめの歩き方は、「鉄道の高架を魚の背骨に見立てて、西から東へ蛇行する」というものだ。ガード下にはおしゃれなバルから、怪しげなレトロな喫茶、それに焼き鳥屋などが並んでいてその脈絡のなさこそが、浅草橋のオモシロポイントなのだそうだ。

ワイフのトラ顔を拝むのは久々だ。こちらが真夏の太陽が照りつける灼熱のオフィス街へ日参していた頃、ワイフは独自のサマーバケーションを過ごしており、ある日のFacebookでは港をバックに黄昏れて、またある日のツイッターでは、地方の祭り少女に混じって盆踊り、と思ったら、「田舎のシブ酒場でひとり酒なう」などと断片的な情報をSNS経由で報告、小学生以上に「毎日が夏休み」状態を満喫していたのだった。帰って来るや否や、「青春18きっぷ旅12時間、空の旅1回、お祭り2回。旅の期間中、痴漢撃退1回、飲んだビールいっぱい。胸もいっぱい」というダイジェストの報告があった。

ボキはボキで、社では「クリエイティブ室長」となるも、部下がくるくる変わるという異常事態がここ数ヶ月続き、ついにはノーメンバーになっていた。え……何! ボキって人望ないのぉ! と心で叫びながらも、一応社内では、「北の国から」の純キャラとしてポジショニングされているため、せいぜい出来る主張としては眉間にしわを寄せた戸惑いがちの上目遣いで会議に参加するくらいのものだ。ボキはもっとデキる感じで行きたい。スタイリッシュに生きたい。洗練されたデザイン、研ぎすまされたコピー、無駄のないブレスト会議。そんなものづくり班を作りたいだけなんだ。 「違う」とワイフが突然言ったので、身構えた。「行きたい店の方向、こっちと違った」。薄暗いガード下だが、背骨は一本。道を間違えたら戻ればいい、ただそれだけのことだ。ただそれだけのことが人生となると難しい。
お江戸の寿司屋は、“暖簾が汚い”が評判の証 「美家古鮨」

田舎育ちのワイフは、時折突発的に「酸欠だ」と言って地方へ旅立つ。しかし、田舎に行ったら行ったで今度は東京に里心がつき、そそくさ帰って来る。 「浅草橋の東口に、何年も前から気になっている寿司屋がある。今日はそこからスタート」らしい。寿司ぃ〜!? 旅で散財しておきながらいきなりゴージャスなことを言う。ボキの小遣いからは断じて払わないぞ。着いたのは「美家古鮨」という小さな立ち食い寿司だった。

低い天井の上からは、ゴゴゴゥーと電車が走る音が響く。そろそろと暖簾の奥を覗くボキの脇から、「私たち初めてなんです。まずどうしたら?」と先陣をきったのはワイフだ。旅の興奮が残っているのだろう、いつもならボキに押し付ける「初心者マーク」を自ら掲げての堂々たる参上だ。黙々と寿司を握っていた大将だが、「お荷物はそこにひっかけて、ネタは短冊が表になってるやつを。1カンずつの値段だけど、2カンずつ出すから、ふたりで分け合って食べてね」と思いがけず、にこやかである。寿司は75円からある。お酒は缶ビール500円と、大関400円、焼酎250円の3種。

ボキが思わず戸惑ったのは水道の存在感だった。カウンターの手前に流しそうめんができそうな細長い流しが設置され、一人一蛇口がある。ステンレスの台に置かれたネタを皆、手で食べては蛇口をひねり手を洗う。

「江戸時代の寿司屋は、もともと屋台スタイルだったんだそうで。みんな立って2〜3カン手でつまみぱぱっと帰る。みんな暖簾で手をぬぐってくから、汚い暖簾の店ほど繁盛してる目印だったんです」隣のご夫婦ともども、「へえ」と思わず感嘆の声を上げる

「ここが出来たのは50年前です。本店は柳橋にあるんだけど、先代が支店をここに構えたの。長い事、水道だけで箸も置いてなかったんだけど、サラリーマンが昼に寿司を食べたあと魚臭い手で営業先に行くのは気の毒だもので、そのうち箸も置き始めたんです」

サーモンにつぶ貝、アジを注文した。程よい歯ごたえのつぶ貝にとろけるサーモン。酢でしめた小鯛も味わい深い。

シャリは昔ながらの大降りだ。手で食べると、よりダイレクトに旨味が広がるようだ。 ネタケースは簡素だが、今日出す旬のネタだけをきっちり並べているのがわかる。ガリも一枚残さず食べ終え、水道でジャーっと手を洗い「ごちそうさま」と揃って元気良く言った。

ワイフがそっと暖簾で手を拭いている。「旨かった印をつけておいた」。地方行脚の後、東京に凱旋した江戸のお侍気分なのだろう。滞在時間約30分、お会計二人で1500円。じつに人にしゃべりたくなるガード下である。
紅白を目指すもつ焼き屋ってどうゆうこと!? 「西口やきとん」

「よし、東へ行くぞ」とワイフが言う。暗がりのガード下を進む。「ところでユーはこの夏、いかがお過ごしであったか」と聞いてくる。「うむ、相変わらずだ」とボキ。「それだけか。ネタなし山なし笑いなしか。そんなサービス精神でリーマン生活大丈夫か」。痛いところをいやな感じでついて来る。 「西口やきとん」は路地に溢れる炭火の匂いですぐにわかった。なんだなんだ……。ボキは目の前に広がる、もつ焼き桃源郷に思わずたじろいだ。焼き台とオープンエアの入り口から店の中腹までが立ち飲み、奥にはテーブル席がある。賑わっていた。

「どこでもどうぞ〜」と見るからにひょうきん顔の大将が言う。ワイフ曰く、ここは創業42年のもつ焼き屋で、その昔はガード下にあったらしい。連日客が大入りで、店に入りきらないと線路に沿って何十メートルも折りたたみ机を並べ飲ませたらしい。文句を言いに来るおまわりさんも、ついには客になってしまったという伝説の魔窟である。

生ビールを二つ頼み、卓につくとまさかのまな板だった。包丁の傷跡が横に斜めに入ったまな板は、何枚もテーブル代わりとなって活躍している。すごいリサイクル。

日替わりの小皿200円「鶏皮のチリソース」を注文する。味つけは果てしなくエビチリだが、海老はどこにもいない。「その代わりぷるぷるの鶏皮と豆が出没する意外性を持たせた煮込みだ」とワイフ。ものは言いようだな、とボキが言うと、「言いようではなく、生かしようだ」。

ビールの大瓶は500円。これは大変良心的な価格設定だ。生ビールには小300円があるのもポイントが高い。

串は基本1本100円だ。「『赤獅子』と『白獅子』って何?」と店の女の子に尋ねると、「白はハツとししとう、赤はカシラとししとうです」と陽気に答えるそばから、「逆だよ逆、ハツは赤くて、カシラ(豚のおでこ)が白いのー!」とタオルはちまきの兄貴に叱られている。「ですです」(笑)。なんだかノリが愉快な部活だ。

カシラは食感がさくさくの白い脂身、ハツは肉っぽい歯ごたえがあり、ともにししとうと好相性。

「今日のおすすめ、お姉さんは何が一番好き?」とワイフがくだんの女の子に聞くと、「かぼちゃの煮物かな。あ、でもチキンクリーム煮もおいしいしぃ〜」「ふうん、じゃあタン刺し」まったく噛み合ない会話だが、両者は気にかける様子もなく、「はいよ」と女の子は冷蔵庫から10秒で運んで来た。早っ。ボキらもペース良く、バイスサワー大(450円)へシフトした。

ここのメンバーは、みんな好き勝手にやっているようで、手は絶え間なく動いている。間もなく、青タオルの男が客席にどっかり腰をおろし、山盛りのにんじんを刻み始めた。その手さばきはベテランコック並に鮮やかで思わず見とれる。「何作ってるんですか」と聞くと、「今日の賄いっす。豚キムチに入れるんす」。「賄い、いいなあ」とワイフが言う。賄いという料理は、もうそれだけでちょっとしたロマンだ。そういえば……とワイフがつぶやく。「何年か前に、この店からCD出しましたよね」「よく知ってるねえ。コロンビアレコードから一応メジャーデビューよ」

何の話? 「AKBなんかも手がけた人が、うちでCD出しませんかって。で、佐藤蛾次郎さんと、今にんじん切ってるカズヤが一緒んなって歌出したのよ」と大将が嬉しそうに言う。「売れた!?」とワイフ。「売れるわっきゃないじゃないすか〜」と焼き場担当の兄さんが横から言う。

「儲かった?」とワイフが畳み掛ける。「2000万ちょっとかな〜」「すごいすごい」とじぶんごとのように喜んでいる。 「聴きたいなあ」とワイフ。「やめてくださいよ〜」と必死に抵抗するカズヤ氏をおいて、店内一同、素晴らしいフォーメーションで誰かがCDを発掘、ホコリをかぶったプレイヤーも登場、間もなくミュージックが流れ出した。歌う客もいる。踊る店員もいる。 ♩浅草橋下町 日本が誇る三ツ星〜 やきとんとんとん やきとんとんとん とんがらしは辛いけど〜 セクシー娘はたまにはやってくるぅ……♩

す…すごい歌だ。そしてなんだ、この大将以下目に見えぬ……ばかばかしいほどの結束力は。妻が「初めてこの店に来たのは10年前。その頃から弾けるバカパワーの片鱗はあった」らしい。アイデア串を売りにする大将は、なんでもかんでも串に刺す。たくあん串を考案し大不評を買ったメモリアルもある。 「10年で期待通りの成長を遂げている」とワイフ。「チームで働くなら、こんなふうにばかばかしいことを一所懸命にやりたい」 ばかばかしいことって素晴らしい……の? じつはボキが勤める社にはユニフォームがある。体操着(中学校指定のもの)に赤帽をかぶり、年賀状撮影や社会科見学に皆でぞろぞろと繰り出す。おふざけ隊長である社長ももちろん体操着。こんな姿を友達に見られたら……と最初は半分ノイローゼになりそうだったが、近頃は何かが麻痺したのか体操着で山手線に乗れる自分が怖い。

間もなく、ボキの脳内に「♩とんとんとん……」ともつ焼きソングが響き出した。だって、だってだよ、もつ焼き屋が歌手デビューってなんだよ、一部上場やチェーン展開を目指すんじゃなく紅白って? 迷走だ、これを迷走というのだ……。 と憤りながらも、そっと♩とんとんとん、やきとん……と試しに口ずさんでみた。ら、ボキの体内で大事に守ってきた「カッコいいパート」があっさり全壊した。戻ってきて、カッコいいボキ!
エピローグ

バイス色の顔になったワイフが言う。「旅はわしにとってばかばかしい迷走なんだ。でも迷走も全速力でやってると、案外迷い人ってバレないんだぜ。あら、この人なんか楽しそうなトライアスロンやってるのね、応援しちゃおうかしらって。その先に、例えばメジャーデビュー、または2千万円があるのさ……」 そういうこと、なの? 「最初はみんなノーメンバー。でもばかばかしく面白そうに生きてる人のところに、みんな集まってくるんだ」今夜のワイフは妙に説得力があった。力強かった。大トラ嫁は旅に出せ。

ワイフは話を勝手にまとめ、お会計をし始めた。 ちょ、ちょっと待て、まだCDは2番が終わってない……ぞ! 帰り際、カズヤ氏はCDを記念にくれた。「サインとか、ありますか」と一応聞くと、実に手慣れた感じでマジックを走らせた。カッコいい……不覚にもときめいた。ボキの中で新たなスタイリッシュが萌芽した瞬間だった。徹底迷走。プロフェッショナルの迷走。迷走の流儀。お江戸の寿司に始まり名歌との出会い。ボキの旅はここから始まるのかもしれない……。